元号が平成から令和に変わる時に菅官房長官(当時)が掲げた例示を見て、「令の字が間違っている、正しくは〜」というような書き込みがSNSなどに散見されましたが、「正しくは」といっている時点で全く誤った見解の垂れ流しで、その本人が裏付けを持って話しているのかどうかのリトマス試験紙にはなりましたが、この手の情報は話題性が高いだけに内容の真偽は別として拡散されてしまう傾向があります。
まあ、あの時書かれていた令の字が隷書とも楷書ともつかない字形だったという点には違和感がありましたが、手書きであった以上あれは菅義偉氏の書く文字がああだったというだけの話で、正しいかどうかとして取り上げるのであれば「隷書として書いた場合は」「楷書として書いた場合は」「明朝体活字であれば」としなければ何の意味もありません(菅氏の書かれたものは明朝体でも明朝体活字でもありませんが)。
似たような例ではかつて巨大掲示板で「お前ら進捗の捗を正しく書けるか」というようなネタが投稿され、ここでも間違ってた、正しく書けたと騒がれていましたが、これも単に表外漢字字体表の例示字形が「いわゆる康熙字典体」に変更されたため字体が変わったということであり、間違っていた、正しかったという話ではありません。
これらに共通しているのは、不正確な情報を確認しないまま流布しているという点です。
これが危惧されるのは、不確かな情報を流してもその本人は責任を取らないし、話題になれたことでまた同じような行為を繰り返すようになるということと、最悪の場合は真偽を確かめないどころか、デマに飛び付いては次々と流すようになることです。またこれが悪化すると「自分だけが真実に気付いている」となり、悪質なデマにこそ飛び付き本気で信じてしまうようになります。
字形や字体を理解せず誤った情報を流して、話題になれたといい気分になる程度であれば人の生き死ににかかわるようなことでもないので然したる問題ではありませんが(人名表記を誤ったら生死に係わる出版業界は除く)、今回のパンデミックで表面化したように「コロナは嘘」「ワクチン打つとマイクロチップが仕込まれ5G通信で操作される」というデマを吹聴する層が一定数いることと、それを真に受けてしまう層が少なからずいることは極めて危惧すべき問題だと考えられます。
ちなみに私はワクチンを4回接種していますが、いまだに5G通信で接続できません。iPhoneが古く4Gまでしか対応してないので、無償で(実際は公費で賄われているので支払った税金ですが)5Gになるならラッキーと思っていたのに、いったいどういうことでしょう。
ミュートしたユーザーの投稿です。
投稿を表示漢字の表記の話ではありませんが、
一所懸命と一生懸命が同義で扱われ、
最近では後者に統一されてるところもあると聞きますが、納得がいきません。
どちらも使うなら、使い分けをする方が伝わりやすいと思うのですがどうなのでしょうか。
昔は試験にも出た一所懸命は、
もう消えて無くなってしまうのでしょうか。
語源に触れたり、言葉に細やかな表現をする文化は消えていくようで寂しいです。