2023/05/25 21:25
ニュース記事を読んでいて右顧左眄という表現が目に止まり、「はて、左顧右眄だったではなかろうか」と、漢字海で調べてみると、右の項には右顧左眄の見出しのみで⇒左顧右眄となっていて、左の項に左顧右眄の見出しと意味が掲載されていました。試みに大辞林を引くと右顧左眄・左顧右眄ともに見出しと意味が載っているが、左顧右眄には「曹植「与呉季重書」より」と出典が記載されているので、やはりこちらが本筋であろうとあたりをつけていたら、全く同じことを書いている三省堂編集者のコラムを見つけ「ああ、天下の三省堂さんの編集者が書いているのだから間違いではなかろう」と思いましたが、そもそも漢字海も大辞林も三省堂なんだから、辞書を引いた時点で判断できるだろうと、道具がよくても使う人間が劣っていては活かすことができないのだなと実感しました……。
2件のコメント
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投稿を表示言葉の海を渡る船は、
太古に草で編まれた
あの様な船だろうと、
妄想の中で編み出したそれに乗り込み
言葉の海原に櫂を差し入れる。
時に跳ね上げた波を肩で受け、
ああ今自分はその只中にいるのか、と
多少感じはしながらも、臆して
岸に沿って辿っていくとやがて
この海は彼の方の足下から
深く遥かに広がっていたことに気づく。
ただ漂うのも良かろうが、
私は、この海の向こうを知りたいと思い、岸から離れて大海原へ漕ぎ出でる。
やがてそこは誰の海ということもなく
全ての人と接し繋がり、
舟は、時に目的に向かって突き進み、
時に揺蕩う木の葉のように、
長い時を迷いながらも、
様々な言葉に出会っていく。
それを、これからも足下の海で
楽しませていただいて
よろしいでしょうか?
左顧右眄という言葉は
自分の日常にない言葉でした。
ありがとうございました。
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投稿を表示最近むずかしいことがちっとも頭に入らなくなってきました。とほほです。
辞書なんて何年もひいていないよ~