2023/06/23 09:29
「地獄と極楽」を見てきた方からのクイズ😉
細かく書けば大変長いので、短めに要点だけを……
「ある時、地獄の様子を見たら、丸い大きなテーブルの上に素晴らしいご馳走が…地獄に落ちた者も、こんなご馳走がいただけるんだぁと思い見ておりますと、そのご馳走を我先に食べたいが為に必死で食べようとしますが、各自が手に持っているお箸は、一間(約182㎝)の大変長いお箸でありまして、ご馳走を取りましても❗自分の口にもってくることもできず、全て下に落ちてご馳走が燃え上がります。死んでも「ワシがワシがが」で、哀れだなぁと思い、今度は、極楽に参ります。やはり、同じ丸い大きなテーブルに素晴らしいご馳走であります。やはり、お箸は一間の長い物。」
さて、極楽におられた方々は、どのようにしてご馳走をいただいたと思いますか?お箸を適当な長さに折って、短くしては駄目です。182㎝のお箸でお考えくださいませ。
直ぐ、わかっちゃいますかね?
答えは、夜にでも…奮ってご参加くださいませ。笑笑
5件のコメント
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投稿を表示たけちゃんさん、もしかして
瀬戸内寂聴さんに弟子入りしてました❓️😯
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投稿を表示これは、「しあわせ」のお話しでありまして、私は、仕え合うと書いています。「仕える」それから「合う」という仕合わせ、古い使い方ではこの字です。極楽の人達は、自分の口にもっていこうとはしないで、ご馳走を箸ではさみ、「あなた、いかがでございますか」お箸の長さに無理のない方の口に持ってゆく。AさんはBさんへ、BさんはCさん….と皆が和気あいあい、お互いの口へご馳走を運んで合いながら、いたわりの心、慰め合いの心で、いわゆる協調する心でなごやかに食事が進んでいった。「仕え合う心」に極楽というものがあるという、味わい深いお話であります。
中島みゆきさんは、「糸」の楽曲の詞で「幸せ」とは書かず、「仕合わせ」と書かれておられます。実は「幸」は手かせでありまして、命まで取られず良かったなぁという恐ろしい字です。ご興味があれば、「幸」の漢字の成り立ちを検索してみてください。
P8k 様,E-PP1様, 黒いアマガエル様🙋ありがとうございました。
皆様の人生における「一服の清涼剤」になれば、さいわいです。長々とすみませんでした。
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投稿を表示E-PP1さま、さすがであります。
自分も同じく、ですが、
知識無くただの思いつきです。
自分より相手のことを思いやるのは
現世でも美徳なのでしょうが、
美徳と考えてからやるのではなく、
自ずと身体が動くのでなければならないと考えます。
ただ、捨て身であればよいというわけでもないと思いますし、
人として何が正しいのか考えても、
結局悩んだ末に気の赴くままだったりすることもあり、いい加減なものだと振り返るばかりです。
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投稿を表示Give&Takeの発想が持てるか、という戒めですね。
会社員時代に企業教育で知りました。
奪い合うご時世ですが、最初に譲る決断ができるかが
自分と自分の周りを変えていけるかの分岐点になります。
車を走らせている時でも、譲り合いすればストレスも
事故も減らせます。応用範囲は広いです。
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投稿を表示地獄では自分でつまんだものを自分で食べようとしていましたが、極楽では自分の箸でつまんだものを向かいの人の口に運んで、向かいの人が自分の口に運んでくれるので、ご馳走を食べることができていたという『三尺三寸箸』の逸話ですね。
仏教には明るくないので宗派は忘れましたが、浄土宗だったかどちらかのお話だったと記憶しております。